不登校→通信制高校→その先。経験者が運営
ソノサキ進路ナビは、実際に不登校をして、通信制高校に通い、その後に支援する側にも回った人間が、 自身の経験に基づいて運営しています。
これまでの経緯
プロフィールの1行だけでは伝わらないと思いますので、何がいつ起きたのかを時系列で書いておきます。 きれいな話ではありませんが、隠してしまうと読んでいただく意味がなくなるので、そのまま載せます。
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中学1〜2年
同級生からのいじめが始まる
教科書を隠される、意味もなく恫喝される、たまに殴られる(痛くはない)。「いじめで不登校」と聞いて連想されるような過激な内容ではありません。要するに私は、人より「嫌なこと耐性」が低かったのだと思います。それでも当時は、毎日が本当に憂鬱でした。親にも先生にも言いませんでした。相談すること自体が恥ずかしかったのと、親を悲しませたくなかったからです。
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中学3年・4月
クラス替えの名簿を見て、不登校が始まる
「ついにいじめっ子と離れられる!」と期待していたのですが、新しいクラスの名簿にまた同じ名前がありました。その瞬間、「嫌だけど頑張って行かなければ」という気持ちが消えて、「ふざけるな」に変わりました。翌日から卒業まで、ほぼ1年間学校に行っていません。
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中学3年・通年
通信簿はオール1、出席日数は年間10日以下
「頭が痛い」「朝起きられない」と仮病を使い、共働きの両親が出かけるまで布団に包まる毎日。ブックオフとゲオに入り浸って漫画を読み漁り(腕が筋肉痛になるまで立ち読みしました)、午後のロードショーで映画を観ていました。学年イチのワルを圧倒する、ぶっちぎりで低い成績です。
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同時期
フリースクールは2回でやめました
学校の勧めで通ったのですが、初回の面談を除けば2回ほどしか行っていません。理由は単純で、つまらなかったんですよね。実情をよく知らないまま辞めてしまったので、私にはフリースクールを勧めることも否定することもできません。※施設ごとに中身はかなり違うようです。
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同時期
暇すぎて、絵を描いたりHPを作ったりしていました
ゲームも漫画も、1日中やっていれば1か月もしないうちに飽きます。あまりに暇でPCで絵を描いたり、ゲームを買うお金欲しさにHPを作って今でいうアフィリエイトを始めてみたり。当時は完全な暇つぶしのつもりでしたが、結果的にこれがその後の人生でいちばん役に立っています。
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高校入学
クラーク記念国際高等学校(広域通信制)へ
選んだ理由は「親が推したから」「他の高校の説明会へ行くのがめんどくさかったから」の2つです。今思うと「おいおい」とツッコミどころ満載ですが、恐らく多くの生徒が同じような動機だと思います。入試では足し算が出ました。アルファベットを書けという問題では順番を悩んで、たぶんNMLと間違えて書いています(笑)
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中学の卒業式
職員室でのボッチ卒業式
全体の卒業式が終わった午後に、両親と学校へ行って卒業証書を受け取りました。職員室にいた先生方が私ひとりのために合唱してくださったのですが、それを嫌々歌う先生方と、その歌を聞かなければならない謎の時間。控えめに言っても地獄でした(笑)。ただ、このためだけに正装して来てくれた両親には申し訳なく思っています。
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高1・1〜2か月
不登校が終わりました
同級生のほぼ全員が不登校経験者で、「中学時代の話はしない、もししても相手に質問をしてはいけない」という暗黙のルールがありました。聞かれたくないことを聞かれない環境が、本当に居心地が良かったです。生徒会にも軽音楽部にも入りました。中3の1年間が嘘のように、普通に通っていました。
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高2の冬
初めて本気で進路を考える
書店で分厚い大学受験案内を買い、目標を立てました。ところが参考書を開いたら数学IAが一行も分からず、中学3年の教科書ガイドを買い直して、二次関数を弟に教わりました。プライドは折れましたが、そこを折らないと始まりませんでした。最初の模試は全科目偏差値30台、数学は0点です。
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高校卒業後
2浪して、難関私立大学へ
1年目に偏差値55前後の私大に合格したものの納得できず、2年目は自宅浪人で昼夜逆転して丸ごと失敗。3年目に予備校に通って合格しました。特別な才能があったわけではなく、「いつ・どこで・何をやるか」を自分で決めるのをやめただけです。
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大学3年(2014年ごろ)
支援する側にも回りました
不登校の子を対象にしたNPO(キズキ共育塾。株式会社になったのは私が辞めたあとです)で講師をしたり、不登校児の家庭教師をしたりしていました。ただ就職活動と卒業研究が重なっていた時期で、キズキで担当した生徒は1名だけです。それでも、自分が通ってきた道だったので、他の学生とは違う角度から関われた実感はあります。ここで見たことが、このサイトの記事のもう半分の根拠になっています。
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現在
サラリーマン・2児の父
就職活動では2浪について面接で突っ込まれたのは一度だけでした。いまは「良い大学に入って、安定した大企業に入る」という昭和・平成的なコースを辿っております(笑)。自分の子どもを育てながら、当時の親の気持ちを15年遅れで想像するようになりました。
「不登校でも大丈夫」とは言いません
不登校の子と親に向かって、「そのままで大丈夫」「学校なんて行かなくていい」と言う人が少なくありません。 元当事者として、あの言葉には正直なところ憤りを感じています。 いつまで言い続けるのでしょうか。その言葉に責任を持ってくれる人は、本人と親を除いていません。
誤解のないように書いておくと、休むこと自体を否定するつもりはまったくありません。 私自身、中学3年をまるごと休んで立て直しました。限界まで我慢して通い続けても、良いことは起きないと思います。 休むことは必要な時間です。
ただ、その休息時間が、将来の選択肢を狭めることになってしまってはいけないとも思っています。 私は高2の冬に受験を決めたとき、数学IAが一行も分からず、中学3年の教科書ガイドから始め直しました。 結果的には取り返せましたが、3年かかっています。もっと早く手をつけていれば、その3年は短くできたはずです。
このサイトのゴールは、「再び学校に行くこと」でも「不登校を受け入れること」でもありません。 10年後に、本人が自分の力で暮らしていけることです。そこから逆算した情報だけを書いていきます。
このサイトで書くこと・書かないこと
書くこと
- 私自身と、同級生や支援先の子どもたちを実際に見て分かったこと
- 文部科学省などが公表している数字と、その読み方
- 学校のパンフレットには載らない、費用・進学実績・中退のリアル
書かないこと
- 医学的な診断や治療に関する判断。これは医療の領域です
- 「必ずこうすれば直る」という断定。不登校の背景は一人ひとり違います
- 体験していないことを、体験したかのように書くこと
ちなみに3つめについて補足しますと、記事の中で「〜のはず」「恐らく」と語尾を濁している箇所があると思います。 あれは書き手が自信を持てていないのではなく、私が本当に知らないからです。 通信制高校では同級生同士でも不登校の理由を話しませんので、知らないことのほうが多いんですよね。 そこを断定で埋めてしまうと、この記事を読む意味がなくなると思っています。
お子さんの状態が心配なときは、進路の検討より先にご相談ください。
学校のスクールカウンセラー、自治体の教育支援センター(適応指導教室)、児童相談所、
かかりつけの小児科などが相談先になります。24時間対応の窓口として
「24時間子供SOSダイヤル(0120-0-78310)」もあります。
ご連絡
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