こんにちは。元不登校児の大吉neatです。
このサイトの前提になっている話を、最初に一度きちんと書いておこうと思います。
私は中学3年生の1年間、ほとんど学校に行きませんでした。通信簿は通年でオール1、出席日数は年間10日以下です。学年イチのワルを圧倒する、ぶっちぎりで低い成績でした(笑)。そのあと広域通信制のクラーク記念国際高等学校に進学し、卒業後に2浪して難関私立大学に滑り込んでいます。
この話をすると「すごいですね」と言われることがあるのですが、実際にはかなりみっともない過程を経ています。1年分まるごと無駄にした年もあります。そこを隠すと読む意味がなくなってしまうので、そのまま書きます。
いじめが始まったこと。でも「過激ないじめ」ではありませんでした
中学1年生、2年生の頃の私は、恐らくどこにでもいる中学生でした。勉強は苦手でも得意でもなく、部活動のスポーツはそこそこ得意で、そして同じクラスの同級生(渡辺くん、他数名)にいじめられていました。
といっても、トイレに連れていかれてバケツの水をかけられるとか、タバコを押し付けられるといったことはありません。教科書を隠されたり、たまに殴られたり(痛くはない)、意味もなく恫喝されたり、ちょいちょい嫌がらせをされる、という程度です。「いじめで不登校」という言葉から連想される過激な内容とは、全然違います。
要するに私は、世間一般の人よりも「嫌なこと耐性が低かった」のだと思います。
あれから15年以上経ち、おじさんの感性を獲得した今となっては「そんなことで……」と自分でも思うのですが、当時の私にとっては本当に不愉快なことで、毎日がとても憂鬱でした。
ここを読んで「その程度なら」と思われた保護者の方もいるかもしれません。でも、だからこそお伝えしたいのですが、子どもは客観的な被害の大きさで不登校になるわけではありません。傷の深さは、出来事の大きさではなく、その子の耐性と、逃げ場があるかどうかで決まります。「その程度で」という言葉は、ほぼ確実に子どもの口を閉じさせます。私も言われていたら、二度と何も話さなかったと思います。
「そんなに嫌なら言えばよかったのに」と思いますよね
これを読んでいる方の中には、「そんなに嫌なら、いじめられている事実を学校や親に言えばよかったじゃないか」と思う人もいると思います。
これがね……言えないんですよ。
特に私は親には絶対に言えなかったし、学校の先生にも言えませんでした。なんなら「いじめられているのか?」と問いかけられたとしても、「いいえ」と返していたと思います。
そこには色々な感情が入り混じっています。学校や友人に対しては、いじめを相談すること自体が「恥ずかしい」「みっともない」。親に対してはそれに加えて、「子がいじめられていると知って悲しませたくない」「いじめられているみっともない自分を隠したい」。そんな気持ちでした。
いじめが原因で自殺してしまう子が、残念ながら毎年います。そういった痛ましい事件が起きるたびに、多くの先生は「知らなかった」と回答します。あれは、恐らく多くの場合は本当に知らなかったのだと思います。上に書いたようないじめられっ子の心理があるので、こちらが全力で隠しているからです。
決定打は、クラス替えの名簿でした
中学3年生に進級するとき、私は「ついにいじめっ子と離れられる!」と期待していました。ところがクラス名簿には「渡辺」の文字。
その瞬間、自分の中で「嫌だが学校には頑張って行かねば」という気持ちが消えました。代わりに出てきたのは「ふざけるな、学校はなぜ自分に嫌がらせをするのか」でした。
こうしてクラス替え発表の翌日から、中学卒業までの約1年間、私は不登校をしました。4月の頭に一度だけ頑張って午後から登校したことがあったのですが、同じクラスにいた渡辺くんの姿を見て不快感を覚え、翌日からは「学校へは行かない」ことを選びました。
不登校の1年間、実際に何をしていたのか
不登校をし始めた4月上旬、私は仮病を使っていました。「頭が痛い」「朝起きられない」と言いながら、共働きの両親が出かけるまで布団に包まっているわけです。
この仮病を思いついた理由がひどくて、仲の良い友達が低血圧(恐らく起立性調節障害だったと思います)で朝起きられず、いつも昼から登校してきていたので、「これは使える!」と悪知恵が働いたのでした。
8時30分ごろに母親が家を出て行ったことを確認したら、あとは自由時間です。
そのうち両親も不登校の心理などを勉強したようで、不登校については触れなくなりました。おかげで私は仮病を使う必要もなくなり、帰宅した親と顔を合わせたくないから部屋に引きこもるということもなく、好きなことだけをして生きていました。
ちなみに「私が不登校をした理由」は、約15年が経過した今も両親に話していませんし、聞かれてもいません。「親ならどこかで聞きつけて分かっているのかな」とも思っていますが、大人になったいま、親も人間である、しかも私は長男だったので初めての子育てだったということを考えると、毎日不安に押し潰されそうだったのかな、と15年遅れで反省しております。
お子さんから理由を聞き出せていないことを責めている保護者の方がいらしたら、それは失敗ではないと言いたいです。
フリースクールには2回しか行きませんでした
不登校になった直後ぐらいに、学校の勧めでフリースクールに通ったこともありました。
結論から書くと、初回の面談を除けば2回ぐらいしか行っていません。理由は単純で、つまらなかったんですよね。
もう記憶はほとんどないのですが、確か午前中は室内で勉強し、午後は晴れていたら近くの公園でスポーツをして、学校が終わるより少し前に解散、というカリキュラムだったと思います。恐らくもっと色々やっていたはずなのですが、私が数回でやめてしまったので実情はよく分かりません。なので勧めることも、「行くべきではない」と否定することもできない、というのが正直なところです。
※補足:フリースクールは施設ごとに中身がかなり違うようです。私の1例で判断せず、見学して決めていただくのが良いと思います。
暇すぎて、絵を描いたりHPを作ったりしていました
中学3年生といえば、一般的な同級生は受験を意識して勉強を頑張っている頃です。にもかかわらず、私は1秒たりとも勉強しませんでした。
もともと勉強が嫌いだったので、当初は「勉強しなくて良いのはラッキー」ぐらいに考えていたのですが、数か月経った頃には「もう今から頑張っても高校受験には間に合わない」と諦めの境地に至りました。ここまで来ると、考えると不安になるだけなので、思考停止して現実逃避していました。
では何をしていたかというと、最初のうちはゲームをやったり漫画を読んだりしていたのですが、1日中やっていれば1か月もしないうちに飽きます。基本的に毎日「暇」していました。
いま同じ状況なら、無料のゲームとYouTubeで1日が終わっていたと思います。ただ当時はまだYouTubeに子どもが見て楽しめるコンテンツがほとんどなかったので、ブックオフとゲオに入り浸って漫画を読み漁り(腕が筋肉痛になるまで立ち読みしました)、午後のロードショーで週に何本も映画を観て、なんならその前の午後ドラまで見る、という毎日でした。
それでもやはり暇で仕方がなく、PCで絵を描いたり、ゲームを買うお金欲しさにHPを作って今でいうアフィリエイトを始めてみたり、といったこともしていました。
当時は完全に暇つぶしのつもりでしたが、これが結果的に、その後の人生でいちばん役に立っています。
不登校の期間が「空白」になるかどうかは、勉強していたかどうかでは決まらないと思っています。何かに触れていたかどうかで決まります。ですのでゲームを取り上げるのは、私はあまりおすすめしません。
高校を選んだ理由は「親が推したから」でした
秋冬ぐらいだったと思うのですが、私も高校へ行くことになりました。進学先はクラーク記念国際高等学校という広域通信制高校です。
いくつもある広域通信制高校の中からクラークを選んだ理由は、「親が推したから」と「他の高校の説明会へ行くのがめんどくさかったから」の2つです。
今思うと「おいおい」とツッコミどころ満載な理由ですが、恐らく広域通信制高校へ進学する生徒の多くは、同じような動機だと思います。
というのも、高校を選ぶときの一般的な基準は「偏差値」「学費」「通学距離」「その学校の魅力」あたりですよね。ところが広域通信制高校の場合、偏差値はどこも同じ(願書を出せばだいたい入れる)、学費はどこも高い、通学距離もターミナル駅など栄えた場所が多いのであまり変わらない。結局「本人がその学校に魅力を感じるか」でほぼ決まるのですが、大学進学率を高校生に説いたところで「???」なわけです。
なので、これを読んでいるあなたのお子さんも、高校に対する熱量はこんなものだと思っておいたほうがいいかもしれません。むしろ「ここが良い」という希望があるなら、それはとても良いことです。
そんなわけで、私は入試をいつ受けたのかもあやふやです。合格通知が来たのが普通の高校入試よりずっと前の寒い時期だった、くらいしか覚えていません。親が言うから「わかったわかった受ける」状態で、受かっても「ふ〜ん、よかったね(自分のことなのに)」でした。
入試で足し算が出ました
余談ですが、試験を受けたときに「足し算でた……」と驚いた記憶があります。さらにアルファベットを書けという問題が出たときには「あれ? LMNの順番ってどうだっけ……」とかなり悩みました。そして恐らく、NMLと間違えて記述しています。
※順番を間違えて覚えていたことに気づくのは、ずーっと先になってからです(笑)
笑い話のように書いていますが、この入試の易しさは「誰でも入れる」という良さと「学力が担保されない」という弱点の両方を意味します。同級生の学力の中央値は、私の感覚では中学1年生ぐらいでした。ここを理解しないまま入学すると、あとで進路の選択肢が狭まります。詳しくは「通信制高校はやめとけ」は本当かに書きました。
中学の卒業式は、職員室でひとりでした
中学校の全体卒業式が終わった午後、両親と学校に行き、卒業証書を職員室で受け取りました。いわゆる「ボッチ卒業式」です。
そのとき職員室にいた先生方が、私ひとりのために何かの合唱曲を歌ってくださったのですが、それを嫌々歌う先生方の姿と、その歌を聞かなければならなかった謎の時間は、今でも記憶に残っています。控えめに言っても地獄でした(笑)。普段生徒に「真面目にやれ!」と言う先生も、所詮人間なんだなと感じた瞬間でもありました。
ただ、このためだけに正装して一緒に中学校に来てくれた両親には申し訳なく思ったことを、今でもよく覚えています。
高校生活を、想像以上に楽しんでしまいました
入学当初は「レベルが低い」と毛嫌いしていた高校でしたが、1〜2か月が経って慣れてくると、なかなか悪くないと思うようになりました。
いちばん大きかったのは、みんな不登校をしていた経験がある(と思われる)ことから、中学時代の話をしない、もししても相手に質問をしてはいけないという暗黙のルールがあったことです。聞かれたくないことを聞かれない環境は、本当に居心地が良かったです。
いじめのない学校生活。アニメやゲームといった、自分にとって新しいカルチャー。高校がターミナル駅の近くにあったので、行動範囲が爆発的に広がったこと。仲の良い友人もでき、毎日そこそこ楽しいことに心躍らせていました。
中学3年生で不登校をしていたのが嘘のように、学校にはちゃんと通っていましたし、生徒会や軽音楽部にも入って、青春らしきことはそこそこできたかなと思っています。同級生を思い返しても、8割以上は「本当に中学校行っていなかったの?」と言われるくらい、ちゃんと通っていました。
私の不登校は、カウンセリングでも本人の努力でもなく、環境が変わったことで終わりました。 ここは強調しておきたいところです。
高2の冬、参考書を開いて愕然としました
先輩たちの進路が決まっていくのを見て、私も初めて自分の進路を考えました。書店で分厚い大学受験案内を買い、偏差値50くらいの大学を目標にしようと決めました。
そして参考書を開いて、愕然としました。数学IAが、一行も分からない。
仕方がないので、中学3年の教科書ガイドを買い直しました。二次関数の意味が分からず、弟に教わりました。高校2年生が中学生の弟に二次関数を教わるのは、はっきり言ってプライドが折れます(笑)。でも、そこを折らないと何も始まりませんでした。
初めて受けた東進の模試は、全科目偏差値30台、数学は0点でした。
担任には「理系は無理」と言われました
担任には「理系は無理だ。数IIICを1年で全部やるのは不可能」と言われました。現実的なアドバイスだったと思います。私は文系に方針転換しました。
これは、あとから後悔しました。数学が嫌いだったわけではなく、単に間に合わないという理由で決めたからです。結果的に、3年目に理系で受け直すことになります。
お子さんの進路について先生から現実的な意見をもらったとき、それを「事実」として受け取るのは自然だと思います。ただ、その意見の前提は「今年の入試に間に合うか」であって、「その子の適性」ではないことが多いです。浪人も含めて考えると、答えが変わることがあります。
受験は1勝1敗1勝でした
1年目:受かったけれど、納得できなかった
英語の家庭教師を週1回、個別指導塾を週2コマ。修学旅行にも参考書を持っていきましたし、通学の電車では英単語をやっていました。
結果、偏差値55前後の私立大学に合格しました。不登校でオール1だったことを考えれば十分な結果だと思います。でも、納得できませんでした。
2年目:自宅浪人で、丸ごと1年を失いました
「宅浪でいける」と思ったのが、完全な間違いでした。
生活リズムが崩れ、昼夜逆転しました。誰も見ていないので、勉強しなくても誰にも怒られません。この1年は、ほぼ丸ごと無駄になりました。
いま振り返ると、ここでの学びは大きかったです。意志の力で自分を管理できる人間なんて、ほとんどいないんですよね。 私は18歳で、大学に行きたいという明確な意思を持った状態でさえ、自宅では自分を管理できませんでした。
不登校の期間に生活リズムが崩れやすいのも、本人の意志が弱いからではなく、環境に強制力がないからだと思います。私が身をもって証明してしまいました。
3年目:予備校に通って、受かりました
3年目は駿台に通いました。やったことは単純で、「いつ、どこで、何をやるか」を自分で決めるのをやめて、外側のルールに従っただけです。
文系に転向していたのを理系に戻し、難関私立大学の理系学部に合格しました。
特別な才能があったとは思っていません。むしろ、自分が凡人だと痛感した3年間でした。凡人が結果を出すには意志ではなく仕組みが要る、というのがこの3年の結論です。
その後:支援する側に回って、就職しました
大学在学中は、不登校関連のNPOで働いたり、不登校児の家庭教師をしたりと、支援する側にも回りました。自分が通ってきた道だったので、他の学生とは違う角度から関われた実感があります。
就職活動では2浪がどう見られるか不安でしたが、面接で突っ込まれたのは一度だけでした。いまは「良い大学に入って、安定した大企業に入る」という昭和・平成的なコースを辿っております(笑)。
※補足:とはいえ業界差はあると思います。銀行や信用金庫は年齢に厳しめ、IT・生損保・自動車部品・ゲームなどは比較的寛容という肌感でした。学歴フィルターというより、入社時年齢に対する各社の姿勢の違いだと思います。
最後に、いま親御さんに伝えたいこと
長くなってしまったので、この記事で言いたかったことを3つにまとめます。
1つめ。不登校の1年は、人生の1年でしかありません。 私は結果的に2年遅れて社会に出ましたが、社会に出てしまえば誰も気にしません。中学3年生の1年間は、20年経つと本当に小さな出来事になります。
2つめ。環境を変えると、人は驚くほど簡単に変わることがあります。 私の不登校は、過去を知らない人しかいない場所に移ったことで終わりました。何をするかより、どこにいるかのほうが効くことがあります。
3つめ。ただし、環境を変えれば学力もついてくる、ということはありません。 通信制高校は通い続けられる場所としては本当に優秀ですが、学力を作る場所としては設計されていません。ここを混同すると、高3の秋に困ります。この点は通信制高校から大学進学はできるかで詳しく書きました。
いま、お子さんが部屋から出てこない状況にいる方へ。あの1年間、私は部屋で何をしていたか親に一度も話しませんでした。話していないだけで、何も考えていなかったわけではありません。
進路の具体的な選択肢については、不登校からの高校進学 5つの選択肢から読んでみてください。